目指すところ

プログラムを組み、ソフトウェアもfreesoftとして
公開している程度ではあるが、コンピューターを利用している
人間として、やはり、目標とする物があったのではないか、
すでにC言語との出会いから1年はすぎた。少し遅い進歩のようでもある。
あんな暗号めいたものに、あの胡乱さがたまらないのだが、妹にあきれられた。
そんな暗号を記述することが楽しいと思う自分は、果たしてまともな人種なのだろうか。
やはり、目指すところがあって、ここまでのめり込んだのだろう。

未だに現実にはならないのだが、ってか人並みにも出来てないのだが、
プログラムに美学を求めたいと考えている。

世の中に美しくないプログラムはごまんとある。
むしろ今の世の中、僕の美的センスからは汚いプログラムも多い

構築、アーキテクチャー、そういった建築関連用語がコンピューターでは
利用されている。
しかし、コンピューターにはミースやコルビジェのような美しさ
が有るだろうか。
必ずしも言えないと思う。

CUIは美しいと思うが、いや、むしろCUIこそ美しいと思うのだが、
Windowsのコンソールアプリケーション
も美しいとは言えない。
もちろん、CUIで画像編集なんて都合が悪いのでGUIは否定できない。
GUIにも美しいソフトウェアが有るはずである。
ここは、GUIアプリケーションで仮想的にCUIを創ってそこでMusicanも動かしてやろうか
いや、Musicanは汚いから乗せるべきではない。もっと美しく創らなければ。
ReWrieteすればましになると思ったが、そうでもなかった。
やっぱり汚いままだった。

むしろ、Musicanごとき美しくかけないのでは仮想コンソールで美しく
など無理な話で、そもそもこのサイト自体が美しさに欠けている。
音楽を再生できるだけで美しさから外れる気もする。

AppleUなどさわったことも無いわけだが、あの時代は
もしかしたら古き良き時代だったかと思考を巡らすだけで、
実際に見に行くのも出来ない訳で、しょうがない。




ソフトウェアは物理的に実態を持っていない。
儚くあり、故に、美しくあれ。





* ミース・ファンデルローエとル・コルビジェは世界的大建築家です。


go to index
go to index of KAKUSHI